無責任で犯罪を厭わない倉持を誰が信用するのか
倉持茂は、長い間についた嘘が多く、その責任を一切取ろうとしない人間である。以前は埼玉県上尾市を中心に4~5店舗の中古車販売店を経営していたが、知り合いの自動車会社の営業マンを唆して毎月のように数十台の規模でオークションを介して納車させては横流しをしながら、売買代金を懐にしていたことで刑事事件となったにもかかわらず、罪を営業マン一人に被せた人間である。
新車の売買代金を巡る詐欺横領で営業マンとどのような密約があったかは不明だが、事情を知る関係者によれば、営業マンの出所後も倉持は営業マンとの約束を一切果たしていないという。また、本業の中古車販売が不振の時には、無修正の風俗ビデオを密売して警察に逮捕拘留されたこともあり、その頃すでに反社会的勢力の人間との密接な付き合いが日常的にあった。持病の糖尿病の悪化を理由にした虚偽の申請で生活保護を受けるような違法行為も繰り返していた。
そんな、箸にも棒にもかからないような生き方しかしてこなかった倉持にとって、大きな転機となったのが債権者との出会いだった。債権者の会社に出入りしていたスーパーカーの販売業者の紹介で債権者と面識を持った倉持は、間もなくして債権者がコレクションとして保有していた、1台で数千万円から数億円というスーパーカーを20台も借り受け、各店舗に展示したことで一躍脚光を浴び、スーパーカーのファンだけでなく数多くの外車ディーラーの関係者等も倉持の店舗を訪れるようになり、それを聞きつけた専門誌がこぞって取り上げたことで、倉持の店舗は急激に売上を伸ばすようになった。しかし、それをバネにしてさらに店舗を着実に拡充させようとする真面な発想など倉持には微塵もなく、伸ばした売上に対する税金を支払わず、国税当局から再三にわたって厳しい徴収を受けたこともあり、いつの間にか店舗が人手に渡ってしまい、中古車販売は看板として続けながらも、実際には根無し草のような日常を送るのが実情だったようである。
債権者から展示用に借り受けたスーパーカーも、放ったらかしのままで管理も整備もいい加減にしていたために、債権者も怒り、貸し出した車を全車引き上げてしまったが、倉持との関係がそれで終わったわけではなかった。少しでも真面な人生を送っている人間ならば、債権者に恩義を感じて中古車販売の事業を軌道に乗せようとするものだが、倉持は全く逆で、債権者が興味を引きそうなスーパーカーを仕入れると称して購入代金を預かり着服したり、高値で販売できる中古車を仕入れて販売した後に利益を分配するからと言って仕入代金を借り入れたりしても、それらの話はほぼ全てが嘘で、預かった資金を横領したのである。
中でも、債権者が高崎市内に所有していたビルの1階に飲食店街を開設するという話を持ちかけた件では、共同経営をしようと言って巻き込んだ地元の不動産業者との間でトラブルを起こして、その不動産業者が事業からの撤退を決めたというのに、倉持は一人で事業を進めたい、絶対に自信があると言って債権者を説得し、了解を取り付けたにもかかわらず、途中で放り出してしまったのだ。飲食店街は約20店舗が入るような設計で、それに関連して電気の個別メータの設置ほかさまざまな内装工事で1000万円以上のコストがかかったが、倉持は「年内にテナントが10店舗以上集められなければ、ペナルティとして1500万円を年内にお支払いします」とまで言って、債権者に事業の成功を約束しながら、それを忘れたかのような為体だった。
それだけではない、倉持が集めて来たテナントもまた倉持同様にいい加減な人間ばかりで、正式に賃貸契約を結びながら、契約を不履行にして賃料はおろか光熱費も未払にする者が相次ぎ、債権者がそれぞれのテナントに訴訟を提起せざるを得ない状況に陥らせてしまった。賃貸契約の際に、倉持はテナントの連帯保証をすることで、責任の意思を示していたが、実際には何一つ責任を果たしたことは無かった。倉持が債権者に紹介したいと言った人間は100人を優に超えていたが、いずれも会っても意味がないとしか債権者には思えず、面会を断る人間が続出していたが、これらのテナントもそうした類だったのである。また自治体からの助成金欲しさに架空の賃貸契約書を作成して自治体から助成金を騙し取ることも一度や二度ではなかった。債権者とテナントの訴訟で言えば、後で触れる事件を境に、倉持は当初は債権者側でテナントを批判する陳述書を提出していたにもかかわらず、自分が保証人であることに気づいてのことか、逆にテナントを擁護して債権者を批判することを平気でやってのけた。倉持にはまともな友人は一人もおらず、父親の葬儀等の冠婚葬祭で香典や祝い金を出したりしたのは債権者のほかにはいなかったと関係者は言う。
FX投資の失敗に懲りずビルのテナント勧誘や中古車販売でも被らせた巨額の損害
倉持が債権者に負った債務はこれだけではない。証券市場でFX取引が話題になり、多くの投資家が儲けを出しているという宣伝に乗って家庭の主婦までもが手を出すような流行となったが、倉持は10年ほどの間に10億円以上という巨額の損失を出し、他の債権者から厳しい取り立てを受けていると債権者に泣きついた。債権者は仕方なく友人の名前を挙げ、その友人に口を利いてあげ肩代わりの融資をしてもらったこともあったほどだった。
倉持が収入を得るために関わったガレージZEROという車の整備工場の経営者である新井康弘を債権者に紹介して、20年ほど前に倉持が債権者所有のスーパーカーを借り受けた時と同様に、工場の敷地にショールームを開設して展示したいという話を持ちかけ、一度、二度と断る債権者を何とか説得してスーパーカー11台を借り、さらに債権者が設置して間もなかった5連結の車庫まで借り受けた。倉持と新井は後日、「スーパーカーを11台も展示に貸してもらったおかげで信用が付き、商売がすごくやりやすくなりました」と債権者に何回も礼を言っていたほどだったが、倉持と新井は貸出料を無償にする代わりに約束した車のレストア(整備)や塗装ほか全て反故にしたうえ新井が「車庫は倉持からもらった」と嘘を言い続け返還しようとしなかった。また債権者が整備を依頼したマクラーレンというスーパーカー(特別仕様で世界に1台しかない)を、倉持が無免許にもかかわらず勝手に乗り回して火災を起こす事故を引き起こしたが、新井が保険金800万円を受け取りながら、「保険は使わなかった」と嘘をつき続け、債権者が蒙った車両の評価損に伴う賠償もせず受け取った保険金を着服してしまったのである。さらに2人は、中古車を大量に仕入れ、販売して出した利益を折半するという話で債権者から総額で2000万円を出資させながら、それをうやむやにしてもいた。こうした問題を解決しなければいけなかったにもかかわらず、またもや倉持は債権者に対して決定的な事件を起こしたのである。
倉持はそれまでに中古車販売による利益の分配金を含めて220万円を毎月債権者に持参していたが、平成30年11月末日に来る約束をさまざまな理由をつけて引き延ばしていた。その少し前には「新井さんはロシアンクラブが好きなので、忘年会をやってあげてくれませんか」と倉持が債権者に頼んだので、債権者が店の責任者に打診すると、「11月ならばいいですが、12月は厳しいかも知れません」と言われ、それを倉持に伝えていた。倉持は金の算段も付けられない一方で遊ぶことには積極的だった。ちなみに、この220万円の内訳は、中古車販売の分配金200万円と倉持がビルのテナントで斡旋仲介した「こころ」の永嶋浩一の保証人として契約不履行により滞らせた債務返済の一部20万円だった。(以下次号)