松本信幸は、知人から月に10%の金利のかかる借金4500万円を債権者に月3%の金利で肩代わりしてもらっていた。今から40年近くも前のことだった。債権者は、営業に必要な名簿の関係で会社に出入りさせていて懇意になった松本から懇願され、貸すことになったが、それからしばらくして名簿販売の仕事が立ち行かなくなった松本はいつまでも返済できないまま、債権者からさらに借金を繰り返すようになった。
新たな仕事を立ち上げるための資金とか活動資金とか、名目は様々だったが、どれも本当の話はなく、5年10年という時間がいつの間にか経ってしまった。ただ、それでも松本は債権者との連絡は絶やさず、不定期にしろ債権者に顔を見せては近況を報告していたため、返済を巡って大きなトラブルに発展することは無かった。金融が本業ではなく、友人知人に頼まれる範囲で金を融通してあげていた債権者だったから、松本が返済を滞らせても強く返済を迫るような対応をしなかったことで、松本は平気で債権者に嘘を繰り返すようになった。
それに、時間の経過とともに松本の嘘が悪質になって行った。これといった収入がない松本は日常の生活資金もなく常に金に飢える日々が続いていたことが、松本の心を荒ませる要因になったと思われる。
返済を引き延ばしていた松本に、債権者が具体的な返済計画を出すように言い、それから間もなくして松本が持ってきた話は、後から考えれば、余りにも荒唐無稽で度の過ぎる嘘の積み重ねであった。
松本は存在しない秋田義行なる人間を作り上げて、秋田といくつもの投資事業を行っているので、事業に決着が着いたら一括して返済もできるし、長い間迷惑をかけた債権者に十分なお礼も出来ると言っていた。
「ただし、秋田義行さんとの投資は誰にも知られたくないので、社長が一人でいる時に連絡を入れたいのです。私も社長に電話をしている事は誰にも聞かれたくないので、街中の公衆電話から連絡をしますので、よろしくお願いします」と、いわくありげな言い方をした。
松本が口にした秋田義行について、父親である義雄は在日朝鮮の人間として財を成した人物だが、当時は高齢のために息子の義行が事業を引き継ぎながら新たな投資を行っていると松本は言う。そして、毎日のように世田谷にある義行の自宅に通っていたが、しばらくすると住み込みで仕事をするようになり、正月の3が日だけは自宅に帰るという日常となり、義行の秘書、書生のような立場で仕事を手伝っていると言う。そして、投資には機密事項が多いため口外できないが、債権者には内密に進捗状況を知らせるとまで言っていた。
債権者は、松本が毎日午後5時に電話を入れるので、必ず一人でいて下さいと言うので、半信半疑ながらも松本の言う通り夕刻の午後5時には必ず自宅マンションにいるようにした。
それから毎日、午後5時になると松本から電話が入った。香港を拠点にした国際的な金融に関わるものやアメリカ国債の還付金、あるいは大規模な不動産開発など、義行の投資は多岐にわたっていると言いながら、松本はそれぞれの投資について具体的な説明をしつつ、今どのような状況にあるかまで話した。いつしか債権者には松本から電話を受ける事が日課となり、他の用事を一切入れず、また、慶弔事等で家を空けるような用件も全て断るようになった。松本の話がそれだけ真実味を帯びていたのか、時には債権者の会社に姿を見せて、投資関連の書類を置いていく。しかし、それから数年が過ぎても、事業に決着が付いたという報告は松本からは聞こえてこない。それどころか、松本は結果を先送りするだけで、さらにまた数年という年月が流れて行った。
この間、松本は債権者に対し一部の事業で結果は出ているが、義行の所に報酬が留まっているとか、別の投資事業に資金を注ぎ込んでいるので、受け取りを待たされているなどと、もっともらしく債権者に言い訳をしていたが、さすがに6年めに入ると、債権者も松本に「義行氏に一度会いたい」ということを何度か言い、あるいは「報酬の一部でも受け取ってはどうか」という打診もしたが、松本はそのたびに「義行さんは今香港に行っていて、すぐに調整が付きません」とか言いながら、一方では事業で得た利益から報酬を松本に分割して支払うとする義行の手書きによる約定書を債権者に渡していた。約定書は平成25年5月11日付になっており、その時の松本が受け取る報酬は2630億円で、これを平成25年6月から平成26年12月までに隔週75億円と明記されていたが、実際にこれが実行される訳はなく、その後、わずか5か月の間に松本は債権者から確認されるたびに受け渡しの期日と金額を変えた約定書を17通も渡していたのである。松本への報酬額はそのたびに跳ね上がり、同年10月10日付の約定書では1兆5000億円にもなっていた。義行という人間が実在せず、全てが架空の話で始まっていたために、松本は債権者に対してその場しのぎが出来ればよかったから、こんなでたらめな約定書を、さももっともらしく義行の手書きと称してでっち上げたのだろうが、しかし、あまりにも異常と言わざるを得ない。しかも松本はその間に債権者への返済額に謝礼分を加えた金額を自署した借用書まで作成することで、さらに借金を重ねていた。債権者に自己資金がない時には債権者の前妻から500万円を借り受けることまでしていたのである。
すでに触れたように、秋田義行は実在しない。松本が債権者への返済を先送りにし、新たな寸借を繰り返すために作り出した産物でしかなかったのだ。当然、義行と一緒にやっていると具体的に説明してきた投資事業も、全て松本がでっち上げたものか、投資詐欺ブローカーの間で流布している材料に過ぎなかったのである。都内には投資詐欺ブローカーが集まる喫茶店があり、店内ではブローカーたちがそれぞれ情報を交換し合っているようだが、松本はその店に足繁く通って、債権者を騙す材料を仕込んでいたに違いない。中には会社の金約100億円を不正に流用してマカオやシンガポール等のカジノで散財して刑事事件になった大王製紙元会長の井川意高氏の名前も出して、香港で一緒に投資事業をやっているという嘘までついていたが、その話はいつの間にか尻すぼみになった。
松本はそれを誤魔化すために、義行の自宅にある松本の報酬が間違いなくあるとして、ダンボール箱一杯に詰め込んだ1万円札の束を、上面だけ1万円札が並んでいるのが見えるようにして75箱(75億円)も積み上げて写真に撮り、債権者に見せるなどの小細工をし、また義行の直筆と称して、松本の報酬を搬送する手配を部下に申しつける内容の書面を用意して債権者に渡すなどもしていた。さらに松本は、旧知の反社会的勢力の人間まで登場させ、債権者と引き合わせるような、やってはいけないことも平然とやってのけていたのである。松本は、債権者が怯んで、松本にこれ以上の詮索や報酬の受け取りの打診をしなくなることを期待したのかも知れないが、結果は全く逆になった。
松本に乞われて債権者がヒルトンホテルに行った時の事だったが、ホテルの玄関に着くと、そこに待っていた松本と田代ほか数人がラウンジまで同行し、田代が連れて来た数人がラウンジ内に別々に座った。田代が椅子に座ると、指の欠けた両手をわざわざテーブルの上に置いて、債権者を威嚇するような態度を取ったので、債権者は「手をテーブルの下に置きなさい。他のお客もいるのだから」と一喝した。田代は慌てて手を引っ込めたが、次いで松本を擁護するようなことを言い出したことで、債権者が「あなたのことはよく分からないが、松本が私に負っている債務について、貴方が責任を持つということか? それならば話を聞くが、そうでなければ話を聞く意味はない」と言うと、「いやそういうことではない」と言うので、「それでは話をすることは無い」と債権者が言うと、田代が「明日もう一度会いたい」と言うので会うことになったが、田代は「私の友人の会長に会って欲しい」と言ったが、債権者は会う必要はないと断った。
松本は、何故そんな小細工をしたのか。意味は全くないと思い、義行が部下に指示して報酬を搬送する手配が出来ているのであれば、こちらから取りに行こうと言う債権者に松本は抗しきれず、スケジュールを調整しますと言わざるを得なくなったのである。しかし、松本はさらに悪質な計画を立てていた。
松本が債権者を会社に迎えに行き、用意した車で義行の自宅がある世田谷に向かうとした当日、松本が途中で京王プラザホテルの玄関に立ち寄って同行者を一人乗せて行くと言い、ホテルの玄関に車を止めると、そこに待っていた男が乗り込んできたが、債権者には挨拶の一言もなく奥の3列めの席に座り込んだ。
やがて車が世田谷区内の義行の自宅に近づくと、奥の席に座っていた男が債権者に「体を伏せて見られないようにしてください」と言うので、債権者が言うままの姿勢になると、間もなくして男がやにわに注射器のようなものを債権者の腕に射そうとしたのである。男の不穏な動きに気付いた債権者は咄嗟に身をかわし、「何をするんだ」と言うと、男は怯んだのか、それ以上の攻撃はしなかった。
債権者は松本に車を止めさせ、何が起きたのかを聞き質そうとしたが、松本は口を濁すばかりで、「運転していたので何が起きたのかよく分からない」と言い訳ばかりをしたため、債権者は「今日はこれで帰ろう」と松本に指示したことで、来た道を戻ることになった。男が「横須賀に行けば、金が置いてある」というようなことを言ったが、債権者は聞く耳を持たなかった。京王プラザホテルの玄関に車を付けると、男は慌てて車を降り、ホテルの中に足早に入って行き、すぐに姿が見えなくなってしまった。
債権者は松本に自宅マンションまで送るように言い、車がマンション前に着くと、債権者もさっさと車を降りて自宅に帰った。翌日、松本が会社に姿を見せ、債権者が改めて前日の経緯を説明するよう求めたが、松本は同じようによく分からないと言い、言葉を曖昧にし続けた。債権者が同乗していた男の素性を確かめようとして、松本に男を連れてくるように言うと、松本は分かりましたとは言ったが、その後、「あの男は柿生に住んでいる元田という者ですが、死んだそうです」と言って、誤魔化してしまった。
この一連の事件は、まさに松本が仕組んだ殺人未遂事件だった。男が持っていた注射器の中身は毒薬で、ほぼ瞬間的に意識を失うような強い毒性があり、また、男が車に乗り込んできた際には大量のビニール袋を携えていたが、債権者を殺した後に死体をバラバラにしてビニール袋に詰め、どこかに埋めるという計画を練っていたと、後日、松本は男から聞いたと言っていたが、当日までに松本と打合せ済みで、松本が計画を知らないはずはなかった。
債権者は、この件で松本を追及しなかったが、改めて報酬の受け取りについて確認をすると、松本はようやく全てが嘘であったことを認め、それを謝罪文にまとめた。そして、債権者への謝罪の印として、債権者の仕事を無報酬で手伝わせて下さいと言い、それから週に1日か2日は債権者の会社に来て、仕事を手伝うようになった。
また、新たな返済計画も持ち込んでいたが、それも前の時と同様に現実味がなく、実際にも松本が返済を履行することは一度もなかった。返済計画が嘘であることが発覚するたびに松本が書いた謝罪文は9枚にもなっていた。松本には反省の気持ちが全く無かったと言っても過言ではない。それどころか、松本は債権者の会社に約1年半ほどいて経理の帳簿作成をする中で、銀行のATMから小口の現金を複数回にわたって引き出し、およそ80万円を横領し、それが発覚する直前に所在をくらませてしまったのである。その後、社員が調べると、使い込みが他にもあることが発覚した。
松本信幸という人間は、債務返済の引き延ばしをするために多くの架空話をしただけでなく、引き延ばしが限界になった時に反社の人間を使ったり、殺人未遂まで計画するようでは、もはや救いようがない。
債権者は今、松本に対して民事での訴訟を起こし、債務の一部の返還を求めているが、松本の連帯保証をしていた妻の寿子が病死をしたために、相続の関係で寿子に対する請求が娘のめぐみと息子の塁に引き継がれた。めぐみと塁は法的な手続きを取ることで返済を逃れようとしているが、以前から松本に債務が存在し、妻が連帯保証をしている事実は松本の母親や弟、それにめぐみも塁も承知していたことから、法的な効力は生じない。
松本は、債権者からただただ逃げ回っているだけで、トコトンまで家族を巻き込んでしまっている。それが、許される話ではないことは誰もがすぐに分かるはずだ。
ここでは、主に松本が行方をくらませるまでの経緯に触れたが、松本の話は全てが嘘であり、そして虚偽の話をもっともらしく作り上げ、詐欺を常習的に繰り返して来たことから、松本に対しては民事での貸金返還請求よりも刑事事件として詐欺や殺人未遂での処罰を受けることが当然ではないか、とさえ思われるのだ。(つづく)