岡田瑞穂が令和4年1月中旬に亡くなった。すでに80歳を超える高齢で体力が衰えていた。本来なら、妻の優子は真っ先に岡田の死をオーナーに知らせるべきだったが、優子が最初に取った行動は家族全員の相続放棄と優子自身の破産手続きであった。
オーナーが岡田の死を知ったのは、半月ほど後の1月下旬のことで、それも、不定期にしろ毎月のように岡田と連絡を取っていたオーナーの関係者が、いつものように岡田に電話をして、優子から岡田が死亡したことを聞かされ、優子は関係者が電話をしなければ、いつまでも自分から知らせる積りは無かったことになる。それで、関係者が思わず「どうしてすぐに知らせてくれなかったのですか!?」と声を荒げてしまったほど、優子が連絡をしなかったことを強く詰った。しかも、家族全員が相続放棄の手続きをしたと言ったことで、関係者の怒りはさらに増幅した。関係者が岡田に連絡を取っていたのは、岡田がオーナーに負っていた債務の返済を履行させるためだった。しかし岡田は、その度に嘘をつき、返済が実行された試しがなかった。優子は岡田の債務に責任を持つとか、子供たちを保証人にするということを関係者には常々言っていたので、関係者にはそれを確認する必要があった。しかし、電話口で優子が言ったことは、まるで騙し討ちのようなやり方であり、岡田の死を悼む気持ちが、瞬間、消えてしまったのも当然だったかもしれない。
岡田が過去30 年以上もオーナーに嘘をつき通して、鶴巻智徳に対する債権の回収を妨害しただけでなく、岡田自らも25年以上も前に借りた300万円を超える借金をほぼ全額返さず、さらにオーナーの仕事を手伝うと称して、オーナー所有のビルのテナント付を行った際には、テナント候補をでっち上げて契約書類を偽造したうえ、既存のテナントを立ち退かせてしまったという、とんでもないことをやってのけた。オーナーが被った損害は立退料の160万円余のほか得べかりし賃料等莫大な金額に昇った。そうした諸々の債務を総合すると、100億円前後にもなる計算だったが、オーナーは、鶴巻の債務を連帯保証してきた岡田には返済能力は乏しいとは思いつつも、せめて岡田が個人で負っている債務の返済は確実に実行させ、また3人の子供たちが分担してその責任を負う形を整えるよう、何度も岡田と優子に言ってきたことだった。岡田も優子もオーナーには「子供たちは親を見捨てるようなことはしません」と繰り返し言っていたが、いざ実行となると曖昧な態度を取り続けていたのだった。
岡田が死亡した事を知らされた関係者が騙し討ちと思い、思わず怒りに震えそうになったのは、岡田のみならず優子までが言葉とは裏腹の行動を取って、自身と子供たちの相続放棄、そして破産手続きを進め、債務返済の責任を免れようとしたからだった。
岡田瑞穂は、鶴巻智徳が鉄工所を経営していた昭和43年から鶴巻に仕え、1200億円という負債を抱えて破産宣告を受けた日本オートポリスの清算業務に関わる中で、鶴巻が病床に伏せた後も、また死亡した後も日本トライトラストの取締役として会社に残っていたが、この男ほど話の全てが嘘八百としか言いようのない人間も珍しかった。
日本オートポリスの破産宣告で鶴巻の率いた会社グループは、その巨額の負債により事実上瓦解していたが、残された資産があったために日本トライトラストを中心に継続され、鶴巻の死後も残務処理を名目に岡田が居残る余地が残っていたが、平成14年頃に鶴巻が病床に伏せて以降、オーナーへ語った50件ほどの返済計画が全て嘘だった。会社や鶴巻個人の債務処理については、岡田以外に事情を心得ている社員が一人もおらず、一人岡田が対応していたのが実態だったようだが、岡田はそれをいいことに好き放題のことをオーナーに言っていたのである。
鶴巻は平成19年8月5日に病死したが、その事実は遺族たちの意思でずっと隠し通された。オーナーが鶴巻の死を知ったのは、鶴巻の死亡から約2年後のことだったが、これも岡田がさまざまな言い訳をして、その場をごまかしていた結果だった。オーナーが岡田に何回も「鶴巻の見舞いに行きたい」と言って都合を尋ねても、岡田はその度に「本人の体調がすぐれず、医者も面会は控えるように言っています」などと言い続けた。そのために、オーナーによる鶴巻からの債権回収には大幅な狂いが生じてしまった。
オーナーが鶴巻の死後、グループ会社の日本トライトラストと鶴巻道子に訴訟を提起する根拠にした2通の「確約書」について、岡田は鶴巻の妻道子や道子の代理人弁護士に対して自ら確約書を偽造したことを白状する陳述書の作成に協力する一方でオーナーには確約書の内容が事実であり、道子の署名も真正であると強調した。オーナーと道子に対して全く矛盾した対応をする岡田を関係者の誰もが全く信用できないのは明白だが、鶴巻側だけではなく、オーナーにもどれほど損害を与え混乱させてきたか、計り知れないものがあった。(以下次号)