鶴巻が所有していた絵画は、その大半が金融機関等で処分されたが、モネの「松林」は他の絵画群から切り離される格好で、鶴巻の裁量に任されたようだ。絵画の作品群は東京美術品公募展センターと日比谷トランクルームの2か所に預けられていたが、鶴巻は平成9年頃から金融機関に担保の解除交渉を始め、平成14年頃にようやく目処がついたことを債権者に提示していたのである。
鶴巻が体調不良を理由に債権者の所へ岡田が定期的に出向くことになり、債務承認書(念書)を書き換える中で、債権者は絵画、特にモネの「松林」を処分して返済原資に充てる話をその度に聞き、また処分が遅れている話を岡田から聞くばかりだった。ところが、平成19年4月12日、実はモネの「松林」は密かに銀座のギャラリー早川に売却されてしまい、売却価格の3億1000万円はその日のうちに日本トライトラストの口座に振り込まれたのだった。売却の指示は病床にあった鶴巻自身がしたといい、実際にも道子や4人の子供たちの生活費や学費に充てられたというが、しかし、その事実は債権者には知らされないままで、岡田の債権者への対応はまさに騙しであり裏切りだった。さらに岡田による言い訳だけの裏切りの日々が数年続いたが、岡田はまさに常習の詐欺師に等しかった。
とは言え、債権者がただ手を拱いていたわけではなく、岡田を介して何度も鶴巻の妻道子との面談を要請していたが、道子は体調がすぐれないとか、他に用事が出来たといった理由で日延べするだけでなく、面談の約束が出来ても当日になると突然にキャンセルするということが3年以上にわたって50回以上も繰り返された。
債権者と道子の間に入っていた岡田は、面談がキャンセルになった理由を道子のせいにしていたが、岡田が本当に道子に面談の必要性を説いて説得していたのかどうか、債権者には少なからずの疑念があったが、後日、道子と岡田が2人で計画してやってきたことと思わざるを得ない事実が相次いで判明した。
そうした中で、デルマークラブが所有していた目黒平町の土地に対しては平成9年から競売の申立が何度か起きていたが、その度に中断していたものの、平成20年6月にメディア21が申し立てた差押えが認められたことから、債権者としては放置できず、何としてでも道子との面談を実現させるため、態度を曖昧にしていた岡田に強く要請した結果、ようやく平成23年11月1日、目黒の都ホテル(現シェラトン都ホテル東京)での面談が実現した。
道子は待ち合わせのホテルに単独ではなく、長男の智昭と次女の晴美、そして鶴巻の会社の社員だった田中泰樹を同行したが、予定の時刻に15分以上も遅れたことに詫びるでもなく、また、鶴巻が死亡してから3年間、債権者が何十回も面談を要請しながら当日になると断ってきたことへの謝罪もしないまま債権者が待つ席に長男と一緒に座った。そうした態度に債権者は強い不快感を抱いた。
そして、債権者が貸付金とその返済に係る絵画について話を切り出すと、道子が「ご存知のように私は鶴巻とは別居していましたから、社長からの借入金とか、絵画のこととか言われても何も分からない」と言ったことで、さらに債権者を不快にさせた。謝意のかけらも感じさせない上から目線のような口ぶりだったからだった。
そのため、債権者が岡田に「絵画はどうなっている? あるんだろうな?」と多少は強い口調で2度、3度と質すと、岡田が「はい、あります」と答えたのだが、すると今度は、同席していた長男の智昭が立ち上がり「おい、いい加減にしろ!!」と岡田に向かって怒鳴りつけたため、岡田も向きになって「表に出ろ」と言い返したことから、あわや取っ組み合いになりかけた。そのため、これ以上は面談を続けられず、お開きとなってしまい、道子はどうしても岡田を自宅に連れて帰ると言って、気が進まない岡田に対して「来なさい」と強引な態度を取った。
債権者にとってはただ不快でしかなかった道子との面談は、結局何の成果もなく終わったが、それから1ヵ月半ほどした平成23年12月下旬、岡田が債権者に一通の書面を持参した。「確約書」と題したその書面は、債務の返済に関わる絵画(モネの「松林」)の処理、競売の申立が成された目黒平町の土地に係る処理等が具体的に書かれ、道子の署名まであったが、その後、この確約書の約束が履行されなかったために、岡田が翌平成24年1月20日付けで前の確約書とほぼ同じ内容の「確約書」を今度は手書きのまま原本を債権者に持参したのだが、この2通の「確約書」が岡田の創作に基づいた債務返済計画である上に署名も偽造したと主張する道子側と真っ向から対立したのである。
平成25年に債権者は2通の「確約書」を有力な証拠として、日本トライトラストと道子に対し、貸金返還を前提とした絵画引渡等請求の訴訟を起こした。仮に確約書の作成が岡田の債権者への説明通りではないとしても、少なくとも岡田が確約書を作成するに当たって道子の指示や同意があったのは間違いないとして踏み切った訴訟だった。裁判では、道子側の弁護士から確約書の信ぴょう性について2回も確認を求められたが、岡田は間違いないと答えたが、道子がそれを真っ向から否定し、信憑性が問われることになった。また、道子の代理人弁護士が絵画(クロード・モネ作「松林」)の売却の事実関係を質した際に、岡田に対して売却の実行に関わりながら売却先の画廊からキックバックを受け取ったのではないか、と疑問を投げたが、このときも岡田は「売却には関わっていない」と強く否定した。代理人弁護士による追及はそこで終わったが、岡田は嘘に嘘を重ねた上に矛盾を突かれ、あるいは調べれば事実がすぐにも判明することでも自分がついた嘘をトコトン認めなかった。
鶴巻の死亡直前にギャラリー早川へ売却した事実を岡田自身が承知していながら、債権者には全く逆の話をして騙し続け、債権者を信用させるために渡してきた書面すら岡田による偽造ではないかという道子側の主張が裁判官の心証を占めるようになった。何よりも訴訟が提起された直後に、岡田自身が道子側の弁護士と面談し、2通の確約書の偽造を認めるかのような自白をしたり、あるいは道子が岡田の自宅を訪ねて確約書の作成経緯を岡田と語り合う内容を録取した音源が証拠として提出されるなどしたために、岡田がモネの「松林」が売却された事実を知らなかったと強弁しても、全く信用されなくなってしまったのである。
その結果、平成26年12月、裁判官は日本トライトラストに対しては、債権者に対して負っている債務が合計で約8億6400万円あることを認め、その支払と一部2億8000万円については平成12年4月28日から支払済みまで年30%の金員を支払えと判決したが、道子に対しては全面的に請求が退けられてしまった。全て岡田の嘘が招いたことだが、道子が外された影響は大きかった。
債権者は、判決に基づいて債権回収の強制執行を申し立て、実際にもそれが認められたので実行したが、1回目の執行では約23万円、2回目の執行では約5500万円で1億円には遥かに及ばなかった。その結果、債権者は改めて連帯保証をしていたデルマークラブと道子に対して損害賠償請求訴訟を起こしたが、デルマークラブについては時効が成立、また道子については前述と同じ理由で退けられ、全面棄却となった。それでも、岡田は「全て道子との打ち合わせの上でのことだった」と述べていた。
また目黒平町の土地に対しても、岡田は抵当権を設定していたメディア21という会社に対して設定を取り下げさせ、さらにメディア21から債権譲渡を受けた金山澄雄に対しても競売申立を取り下げさせると約束し、確約書でもそれを謳いながら一切実行できず、約束が偽りであったことが裏付けられることになった。なお、鶴巻の死亡に際し道子と4人の子供たち(智昭、徳和、智美,晴美)が揃って相続放棄をしたが、絵画の「松林」や競走馬の種付権の売却等で鶴巻(岡田)が返済に充てると約束していた資産を鶴巻が生前に分配していた事実を踏まえると、4人の子供たちには鶴巻の債務に対する責任が生じて当然である。
鶴巻を紹介した森重毅にも触れておこう。森は暴力団および関係者との付き合いも深く、彼らが開帳する賭場(麻雀、裏カジノ、スロット等)にも客を連れて出向き、賭場から相当の紹介料(手数料)を取っていた。連れて行った客が損をすれば、それだけ森が受け取る手数料もハネ上がった。また森は東南アジアを中心にカジノ旅行も客に持ちかけ、カジノから同様の紹介料(手数料)をせしめていた。
それほど胴元として荒稼ぎをしていれば、どこかで森の存在が目立つと思われるが、森は自分が胴元であることを隠すために本物の僧侶を前面に立て、客たちにその僧侶を紹介して、畏怖させていたという。しかし、暴力団関係者には森の正体が分かっており、森が余りにアコギなノミ行為を仕掛けたり、闇金融で法外な利息を取っていることに怒った暴力団が森を監禁して、10億円を取った事例が2件ほど判明している。
その森が令和2年に死亡した。本妻の娘(みちる)と愛人の息子(毅)が相続した金は裏で100億円以上あったのではないかとみられる。債権者が森に頼まれて紹介した人間がノミ屋の電話番をさせられていたようだが、その電話番に森が何度も「俺は現金で100億以上ある」という話をしていただけでなく、債権者も一度、森が自宅の一室を金庫代わりにしているという話を本人から聞いたことがあり、その時、森が50億円もの現金を債権者に見せたこともあったという。
そして森が死亡する直前に奇妙なことが起きていた。それは森が死亡する2日前に熊倉君子という女性との婚姻届が出されていただけでなく、それから約半年後に、今度は森(熊倉)君子と実子のみちるが養子縁組をしているのだ。死亡するわずか2日前の婚姻届も異例なら、森の実子であるみちるが君子と養子縁組をするというのも異例というほかない。熊倉は亡くなった前妻の旧姓で、君子は前妻の妹という話もあり、こんな異例尽くしのことが起きる要因は、おそらく森が隠匿してきた100億円以上という遺産にあるのではないか。
森が隠匿してきた100億円以上の資産を国税当局が洗い直しをすれば、真っ先に相続税法に問われ告発されるのは本妻の娘と愛人の息子であり、脱税及び相続税法違反に問われるべき金額が余りに巨額だから、告発を受ける東京地検が立件すると、10年以上の実刑判決が出るものとみられる。特に娘のみちるは、森重毅が客を引き連れてカジノ巡りをする際には同行することが多く、父親が賭博の胴元として荒稼ぎをし、無申告のまま隠匿していた事実をよく知っていたから深刻だ。過去に脱税事件で摘発された丸源ビルの債権者川本源四郎被告(脱税額約10億円)には約5年、また地産の竹井博友被告(同34億円)にも同様の実刑が判決で言い渡されているが、森の場合には常習賭博による利益を継続して無申告で隠匿した悪質さに加え、それを一切秘匿しようとした悪質さが際立っていることが大きく影響するものと見られている。
一方で、鶴巻ほか何人も紹介した人間たちに融資をした債権者は債権の回収がままならない中で、森が4~5年ほど前に債権者の会社を訪ねてきたので、それまでの経緯を話したところ、森は「すべて私の責任で返済をしますので、少し待って欲しい」と言うので債権者は待つことにしたが、一切責任を取らないで死亡した。鶴巻の連帯保証をした岡田瑞穂は森のせいで今や50億円以上の借金を抱えることになったが、令和4年1月中旬に責任を果たさないまま死亡した。岡田本人の借金ですら30年以上も放置して返済していなかった。森の娘や愛人の息子もまた森が債権者にした約束の責任を果たすのは人間として当然のことである。しかも、森重毅が隠匿した資産は100億円以上はあると森自身が使用人に何回も自慢しており、実際にも2.3人の関係者が現金を見ているだけに、それを秘密裏に相続した、みちるがこのままで済むことなど絶対に有り得ない。(つづく)